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苦痛を無視する

2009 年 8 月 22 日 土曜日

通常、人は温度が余りに高いと感じると苦しみを覚えます。しかし、心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉があるように、ある程度は心の持ちようで何とかなります。私はこれが好きで、気温が非常に高いときでも極力「暑い」とは考えずに「そうか、温度が高いのか。それだけだ。」とあくまでも客観視するようにしています。主観を排除しあくまでも温度が高いという情報が入ってきただけだと考えるのです。

しかし、先の心頭滅却の言葉を残した坊主も結局は焼死したように、余りに苦痛を無視し過ぎると大変なことになります。

今日もそのせいで右足が壊れてしまいました。

今日、自宅から駅に向かう間のことです。前の車を抜かそうと思いきり左足でペダルを踏んだ拍子にチェーンが外れ、空転したペダルが右足ふくらはぎを後ろから直撃しました。ふくらはぎの筋肉を使うたびに足が痛むので右足を引きずって歩かねばならなくなってしまいました。しかし、びっこを引くと歩行速度が遅くなるし、何より見た目が良くないので視線を集めます。紳士は目立ってはなりません。

そこで、私は足の痛みを無視して足を引きずらずに通常通りに歩いてみました。一歩目こそ痛みは大きく感じられたものの、ずっと痛みが続くと慣れてきて耐えられるようになりました。どこからどう見ても怪我人には見えなかったでしょう。気品漂う紳士にしか見えなかったはずです。

そうして何とか目的地の最寄り駅に到着しましたが、目的地直前で激痛がふくらはぎを襲いました。しかし、ここで無視をやめるようなやわな男ではありませんよ、私は。幸い激痛は一度だけだったので何とか目的地に入ることができ無事に椅子に座ることができました。ミッション・コンプリート。完璧な紳士です。

追記
恐らくこの激痛が走ったときに腓腹筋を断裂しました。

何とか目的地に着くことができましたが、問題は帰りです。足を引きずって歩くということは足をかばって歩くということです。足をかばうということは怪我をした足に負荷がかからない用に歩くということ。痛みを無視して歩くということは怪我をした足に負荷をかけながら歩くということです。目的地までの間に足にかかった負荷というのは相当なものだったようです。

うすうす感づいてはいたものの右足ふくらはぎがパンパンに腫れています。外傷は小さいのですが、ふくらはぎの内部で筋肉が無茶苦茶に荒らされているような感じです。そもそも右足ふくらはぎに力を入れることができず、ただ立ち上がることすら困難です。右足が使い物にならないので、足を引きずってすらも歩けません。痛みを無視して通常通りに歩くというのはもはや物理的に不可能でした。私は涙を飲んで漢の無視をやめました。

普段は意識的にエレベーターを使わないようにしていたのですが、今日ばかりは使ってしまいました。ケンケンしたり、右足への負荷を両手で分散したり、最終的には車を使うなどして何とか帰宅はできたものの、痛みの無視はやめたほうが良さそうですね。みなさんも気をつけてください。


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